17世紀当時のスウェーデンは、フィンランド湾沿岸一帯(北から時計回りに、フィンランド・カレリア(ラドガ湖北岸一帯)・イングリア・エストランド(現エストニア領)・ヒーウマー島・サーレマー島)とスウェーデン領リヴォニア(現ラトビア領)そしてスウェーデン領ポメラニアを領有して、バルト海の覇権を握っていた。
1700年に勃発した大北方戦争(〜1721年)においては、スウェーデンとロシア・デンマーク=ノルウェー・ザクセンからなる反スウェーデン同盟などが争った。
1721年9月10日にロシアが勝利して講和し、スウェーデンはカレリア(ラドガ湖北岸一帯)の大半・イングリア・エストランド(現エストニア領)・ヒーウマー島・サーレマー島そしてスウェーデン領リヴォニア(現ラトビア領)を割譲した(ニスタット条約)。ロシアはフィンランド湾を経由してバルト海に出ることが可能となり、ネヴァ川河口には、戦時中の1703年5月27日からサンクトペテルブルクの建設も始まった。
この戦争(大北方戦争(1700年〜1721年9月10日ニスタット条約))を境にしてバルト海の覇権はロシアに移ることになり、1721年11月2日には戦勝を記念してピョートル1世が皇帝に即位した(ロシア帝国の成立)。

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