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1795.4.5 FRW プロシア王国🇩🇪#014 中立政策を採用,仏と講和🇫🇷

執筆者の写真: 四々縦七四々縦七

1795年4月5日にプロシア王国(ホーエンツォレルン家、のちのドイツ第二帝国)はフランスと講和した(バーゼル条約)。フランスはプロシアにライン川西岸(ラインラント)の領有を認めさせ、ライン川以東の占領地域は返還した。


1794年から講和交渉は始まっていて、バーゼル条約(1795年4月5日)にはライン川西岸のフランス支配を認める代わりにライン川東岸のプロシア支配を保障するという秘密条項が含まれていた。


バーゼル条約(1795年4月5日)を締結したプロシアは10年超の中立政策を採ることになり、ライン同盟の成立(1806年7月12日)に危機感を抱いて対仏大同盟に復帰するのは1806年10月9日(フランスに宣戦布告)のことになる。


歴史のタラレバを言っても詮無いけれど、プロシアのこの早期のタイミングでの中立政策がなければ、ナポレオン・ボナパルトが第一統領になり、フランス人民の皇帝になることはなかったかもしれない… そうすると、フランスがフランス領ルイジアナをアメリカに売却することもなかったかもしれない… そうすると、アメリカはミシシッピ川以東の「大西洋沿岸国」として、北にイギリス植民地(カナダ)・南にスペイン植民地(フロリダ)・西にフランス植民地(フランス領ルイジアナ)に囲まれて19世紀を過ごすことになったかもしれない… そうすると… 以下省略。


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