ラシュタット会議(1798年1月19日〜1799年3月21日)の開催中の1798年2月に、ナポレオン・ボナパルトは教皇領に侵攻した。
1798年2月15日にローマ市民が教皇権力を否定してローマ共和国(1798年2月15日〜1799年9月30日)の成立を宣言すると、これを承認してヴァチカンを占領し、ローマ教皇庁を制圧した。
ちなみに、1798年11月28日にオーストリア・ナポリ王国連合軍がローマ共和国に侵攻してローマを占領したが、1799年9月30日にフランス軍はローマを再占領した。1800年6月にはローマ共和国は廃止されて教皇領が復活したが、背景にはコンコルダート(1801年7月16日に教皇がナポレオン・ボナパルトの統領政府を正式承認し、没収教会財産の返還要求をしないことに同意)に向けた交渉が行われている中でフランス側が教皇庁に妥協した事情があった。
ナポレオン1世と教皇はやがて対立し、1805年2月2日にフランス軍はローマを再度占領して、1809年5月17日に併合した。


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