1801年2月9日にフランスの勝利で講和し、オーストリアはフランスによるライン川西岸(ラインラント)併合を承認し、トスカーナ大公国(1569年〜1801年3月21日)を割譲し、バタヴィア共和国・ヘルヴェティア共和国・チザルピーナ共和国・リグリア共和国の承認を再確認した(リュネヴィルの和約)。
ライン川国境を超えてオーストリア領内に侵攻したフランス軍に対し、オーストリア軍はボーデン湖北岸で迎撃して衝突した。オーストリア軍はシュトックアッハの戦い(1799年3月25日)に勝利したものの、それ以降は両軍の対峙がつづいていた。
しかし、フランス軍はホッホシュタットの戦い(1800年6月19日)でオーストリア軍に勝利し、7月にはミュンヘンまで迫ったため、1800年7月15日にオーストリアはフランスと休戦した。交渉は不成立に終わり11月13日に戦闘を再開したが、12月3日にフランス軍がオーストリア軍に対して決定的な勝利を収めていた(ホーエンリンデンの戦い)。
ということで、ラインラントも諦めざるを得なかったオーストリア2敗目である。


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