1802年3月25日にイギリスもフランスと講和していた(アミアンの和約)が、講和の取決めはほとんど守られなかった。
ただし、1796年までにセイロン島のオランダ全拠点を制圧して成立していたイギリス領セイロン(1796年〜1948年2月4日)はバタヴィア共和国への返還対象に含まれず、事実上イギリスの植民地として認められた。
1803年5月16日には、イギリスはアミアンの和約(1802年3月25日〜1803年5月16日)を破棄して再度フランスへ宣戦布告した。【第三次対仏大同盟:イギリス・オーストリア・ナポリ王国・ロシア・スウェーデン(1805年8月9日に参加);ポルトガル・サルデーニャ王国 ※スペインが1796年8月19日にフランスと同盟済み ※プロシアは1795年4月5日より中立維持】

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