1805年12月26日にオーストリアはフランスと講和して第三次対仏大同盟を離脱した。講和条約でオーストリアは、旧ヴェネツィア共和国領地のうちイストリア・ダルマチアを割譲し、イタリア王国を承認して同国に旧ヴェネツィア共和国領地のうちヴェネツィアを割譲した(プレスブルクの和約)。
1805年10月21日にスペインのトラファルガー岬の沖で、イギリス艦隊がフランス・スペイン連合艦隊を壊滅させていた(トラファルガーの海戦)にもかかわらず、ウルム戦役(1805年9月25日〜10月20日)でオーストリア軍がフランス軍に敗れ、アウステルリッツの戦い(1805年12月2日)でもオーストリア・ロシア連合軍がフランス軍に敗れてしまっていた。
というわけで、結局旧ヴェネツィア共和国領地も全部諦めざるを得ず、北イタリアもヴェネツィアまでフランスの勢力圏となることを甘受せざるを得なかったオーストリア3敗目。


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