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1806.3.30 NBW 衛星国家ナポリ王国の建国【ナポリ王国半島領土の消失】

執筆者の写真: 四々縦七四々縦七

第三次対仏大同盟にも参加したナポリ王国だったが、1805年に再度フランス軍にナポリを占領されてしまった。1806年3月30日にナポレオン・ボナパルトが兄ジョゼフをナポリ王としてフランスの衛星国家ナポリ王国(1806年3月30日〜1815年6月9日)が成立した。


ナポリ王国は第一次対仏大同盟に参加していたが、1796年年中にフランスと講和していた。第二次対仏大同盟にも参加していたところ1799年1月21日にフランス軍に侵攻されてパルテノペア共和国(1799年1月21日〜6月13日)を建国されてしまったが、同年6月13日にはパルテノペア共和国を滅ぼして半島領土を回復していた。


フランスの衛星国家ナポリ王国(領土は半島南部領土のみ)と、いわゆるナポリ王国(ナポリ王国・シチリア王国同君連合)とを混同しないように注意が必要。


フランスの衛星国家ナポリ王国(1806年3月30日〜1815年6月9日)の成立により、ナポリ王国(ナポリ王国・シチリア王国同君連合)はイタリア半島南部領土を奪われたが、シチリア島に存続した。



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