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1807.10 NBW デンマーク=ノルウェー🇩🇰#013 仏と同盟🇫🇷

執筆者の写真: 四々縦七四々縦七

フランス革命戦争とナポレオン戦争において中立を保っていたデンマーク=ノルウェー二重王国だったが、1801年と1807年の2度にわたるイギリスの攻撃にさらされ、1807年中にフランスと同盟関係を結ばざるを得なかった。


デンマーク=ノルウェー二重王国も、バタヴィア共和国(滅亡後のネーデルラント連邦共和国)もあてはまったが、大国αと大国βが対立している場合に、『重要な資産(この時代の場合は制海権を左右する『艦隊』や利益を生み出す『海外植民地』がそれ)』を保有している第三国γは、難しい立場に立たされる。


αからすると、βがγを味方につける(あるいは支配下に置く)おそれがあるなら、γの『重要資産』を破壊・略奪してしまっておいた方が安心、と考えるのも合理的だからだ。これはβの立場からも全く同じだ。


γが自発的にαに(あるいはβに)接近する外交を展開すると、βから(αから)攻撃されるおそれが増すのは事実だが、中立を表明しているだけではαに攻撃された挙句にβの支配下に降るというパターンを免れない。γの立場としては、自国に『重要資産』があるかどうか、そもそも自国の中立を維持できるだけの戦力があるかどうか、という冷静な判断に基づく外交が求められることになる。


フランス陸軍の侵攻の恐れがあっただろうけれど、イギリスの制海権確保にとってフランスがデンマーク=ノルウェー艦隊を入手することを防ぐのは最優先事項だったのだから、デンマーク=ノルウェーの中立維持外交自体が誤りだったかもしれない。そういう視点が地政学からの教訓である。『重要資産』は、兵器、技術、ヒト、戦略拠点など時と場所によって様々だ。明らかに自国の中立を維持できるだけの戦力も資源も持たない現代日本にとっても対岸の火事ではない話である。

【1801年 コペンハーゲンの海戦】

イギリスのマルタ諸島占領(1800年〜)に反対して、ロシア、プロシア、デンマーク=ノルウェー、スウェーデンが第二次武装中立同盟(1800年〜1801年4月2日)を結成すると、1801年4月2日にイギリス艦隊がデンマーク=ノルウェー二重王国艦隊の艦船15隻を破壊・捕獲した(コペンハーゲンの海戦)。デンマーク=ノルウェー二重王国は第二次武装中立同盟(1800年〜1801年)から脱退し、当該同盟も崩壊した。


【1807年 コペンハーゲン砲撃】

1806年11月21日にフランスが大陸封鎖令を発令すると、イギリスはデンマーク=ノルウェー二重王国艦隊の引渡しを条件としてデンマーク=ノルウェー二重王国に同盟を持ち掛けた。デンマーク=ノルウェー二重王国がこれを拒絶すると、1807年9月2日から5日にかけてイギリス艦隊がコペンハーゲン市街地を砲撃した(コペンハーゲン砲撃)。デンマーク=ノルウェー二重王国は9月7日に降伏し、10月中にイギリス艦隊はデンマーク=ノルウェー二重王国艦隊の艦船を没収して撤退した。

デンマーク王国の国旗
デンマーク王国の国旗


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