1813年にプロシア・ロシア連合軍によって、旧ネーデルラント連邦共和国および旧オーストリア領ネーデルラントがフランス軍から解放された。11月20日には、ネーデルラント連合公国(the Sovereign Principality of the United Netherlands)が成立した。
12月2日にオラニエ=ナッサウ家のウィレム1世が亡命先から帰国すると、ネーデルラント連合公国はウィレム1世に君主の称号を贈り、ウィレム1世が即位した。
1814年3月31日にはパリが陥落し、5月30日にフランスとイギリス・ロシア・プロシア・オーストリア4カ国が講和し、ウィーン会議の開催を取決めた(第一次パリ条約)。
ウィーン会議(1814年7月〜1815年6月9日)が開催されているなか、1815年3月16日にウィレム1世がネーデルラント王(オランダ王)に即位して、ネーデルラント連合王国(1815年3月16日〜1839年4月19日)が成立した。
1815年6月9日にネーデルラント連合王国は、旧ネーデルラント連邦共和国領を回復し、オーストリアから南ネーデルラント(旧ルクセンブルク公領の大部分を含む)を獲得した(ウィーン議定書)。なお、旧ルクセンブルク公領はルクセンブルク大公国とされてドイツ連邦にも加盟し、ネーデルラント王(オランダ王)が大公を兼ねることになった。

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