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1815.4.23-1817.7.26 第二次セルビア蜂起

執筆者の写真: 四々縦七四々縦七

1815年4月23日に、ミロシュ・オブレノヴィッチを指導者とする第二次セルビア蜂起(〜1817年7月26日、Second Serbian Uprising(Serbian Revolution))が起こった。オスマン帝国との交渉の結果、セルビアの自治権を認めさせ、ミロシュ・オブレノヴィッチにセルビア公の地位を認めさせた。ただし、オスマン帝国に年貢を収めることと、オスマン帝国軍守備隊がベルグレートに駐留すること(実際に1867年まで駐留した)が、自治権を認める条件だった。


1817年11月6日にミロシュ・オブレノヴィッチ1世がセルビア公に就任して、セルビア公国(1817年11月6日〜1882年3月6日)が成立した。同年に第一次セルビア蜂起(1804年2月14日〜1813年10月7日)を指導したカラジョルジェことジョルジェ・ペトロヴィチが帰国したが、暗殺された。


オスマン帝国が正式にセルビア公国の半独立を認めたのは1830年のことだった。前年に、エディルネ条約(アドリアノープル条約とも言う。露土戦争(1828年〜1829年9月14日)の講和条約)でロシアにセルビアの自治権を与えることを再確認させられていた。


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