1810年5月25日にスペイン副王領リオ・デ・ラ・プラタで五月革命が勃発し、ブエノスアイレスでリオ・デ・ラ・プラタ諸州連合の独立が宣言された。しかし、バンダ・オリエンタル地方(現在のウルグアイにあたる地域)はブエノスアイレス主導の独立を認めず、連邦制を主張するホセ・ヘルバシオ・アルティガス(José Gervasio Artigas)が1815年中にバンダ・オリエンタル地方を東方州として組織し、連邦同盟を結成してブエノスアイレスと敵対した。
東方州(バンダ・オリエンタル地方)には良港モンテビデオがあり、ブエノスアイレスが貿易を独占する中央集権体制に反対していたことが背景にあった。
ブエノスアイレスと敵対しているホセ・ヘルバシオ・アルティガスだったが、1816年にポルトガル・ブラジル及びアルガルヴェ連合王国(1815年12月16日〜1825年8月29日)のジョアン6世(John VI of Portugal)率いるポルトガル軍に侵攻されると、1820年にパラグアイ共和国に亡命した。
1821年に、旧スペイン副王領リオ・デ・ラ・プラタの一部である東方州(現在のウルグアイにあたる地域)は、シスプラチナ州として、ポルトガル・ブラジル及びアルガルヴェ連合王国に組み入れられた。

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